ご挨拶

ご挨拶にかえて(代表取締役/阿部年巳インタビュー)

東日本大震災を乗り越えて
宮城の牡蠣を全国に広めたい

【プロフィール】

代表取締役/阿部 年巳(あべ としみ)

1977年 宮城県東松島市生まれ。

2002年 ドラッグストアを退職し、家業を継ぎ牡蠣漁師に転身。

2011年 東日本大震災からの復興を目指し「株式会社和がき」を設立。

2013年 出荷工場が完成し、本格的な出荷事業を開始、現在に至る。

日本三景の一つ「松島」に隣接する漁業町・宮城県東松島市。目の前に松島湾が広がる東名地区に牡蠣の生産・販売を行う「株式会社和がき」があります。

「和がき」の代表取締役・阿部年巳(あべとしみ)は東日本大震災をきっかけに旧態依然とした家業の商売を見直し、新しい“牡蠣ビジネス”を考案しました。それが現在の「和がき」の事業スタイルになっています。

サラリーマンから牡蠣漁師の道へ

牡蠣漁師の三男として生まれた年巳は、子供の頃から船に乗り父親の手伝いをしていた二人の兄達とは違い、海での仕事に一切タッチせずに育ちました。

「漁師の子なのに泳ぎができない、船酔いは酷い。見かねた父親が“お前は陸の仕事をしろ!“って。子供の頃は母親の手伝いばかりしていました」。

周りの人達からも「お前は漁師に向かない!」と言われて育ち、家業を継ぐのは自分ではないと思った年巳は専門学校卒業後ドラッグストアを運営する会社に就職します。

サラリーマンとして5年が経ち会社からも責任ある仕事を任されていた25歳の時、家業を継いでいた兄が父親との口論の末、家業を捨て突然家を飛び出してしまいました。

実家暮らしをしていて休日などに家業の手伝いをしていた年巳は、兄が抜けた穴埋めを任され徐々に漁師としての仕事が増えて行きます。

二足の草鞋を履きながらも真面目に仕事をこなす年巳に対し、父親もこのまま家業を継ぐのだろうと思い込んでしまいます。

「兄がいなくなった分、当たり前のように父親の手伝いをしていたら自然に任される仕事が増えていき、気が付いたら漁師になっていた(笑)。以前から自分で事業をやってみたいという思いがあったので今考えると良いタイミングだったのかもしれません」。

震災をきっかけに生まれた思い

牡蠣漁師になって10年が経った2011年3月11日、「東日本大震災」がおきます。年巳は午前中の仕事を終え自宅で仮眠をとっていた時でした。

揺れは経験したことがないほど激しかったものの、建物が倒壊せずに済んだためひと安心していたところにあの大津波が襲ってきました。

「自宅の隣にあった漁業組合の2階に家族と非難しました。海を見ると巨大な真っ黒い壁がこちらに向かってくるのが見えたんです。その黒い壁の上には津波が巻き込んだ木がもじゃもじゃと乗っていて、これは大変なことになると覚悟しました」。

ビジネスのヒントを探しに牡蠣先進国フランスへ

震災によって年巳は住んでいた自宅や船を失い、生活の基盤を全て失います。振り出しに戻った年巳でしたが落ち込むこともなく、ここからはしがらみに囚われることなく新しいことにチャレンジできる、と期待感にも似たものを感じながら避難生活を送ります。

そんな中「また年巳さんの美味しい牡蠣が食べたい!」と昔のお客さんや知人・友人からたくさんの声がかかります。年巳は「もう一度牡蠣を復活させ、宮城の牡蠣を全国に広めたい」と決意します。ただ、今までと同じやり方では意味がないと考え、少しでも新しいアイディアを生むきっかけになればと牡蠣養殖の先進国・フランスに視察に行きます。

殻付カキに可能性を見出す

新しい“牡蠣ビジネス”のヒントを探しにフランスを訪れた年巳は日本とは全く違う牡蠣の流通に衝撃を受けます。

「フランスでは一つの会社が漁師と契約して牡蠣の生産から流通、レストラン経営まで一貫して行い、成功していたんです。日本では全て別々の会社でするのが当たり前だと思っていたから驚きでした。しかも牡蠣は殻付のまま出荷。日本では9割くらいがむき身で流通するのでそれも驚きでした。漁師は、“牡蠣は殻付のまま食べるのが一番美味しい”ってわかっていたけど、まだ市場はそのことに気づいていなかった。漁師は殻剥きをしないで獲ったままの状態を買ってもらえるし、中間業者が入らないから最短時間で高品質の牡蠣を飲食店に届けることもできる。漁師、飲食店、お客さん全ての人にとって良いことしかないんです。日本で殻付牡蠣がどれだけ受け入れられるかは未知数だったけれど成功すればたくさんの人がハッピーになる良いビジネスモデルになるんじゃないかなと感じました」

“これだ!”と確信した年巳は帰国後、早速準備に取り掛かります。2011年12月には、同じ志を持った仲間たちと「株式会社和がき」を設立。その2年後の2013年には出荷工場を完成させ、事業が本格的にスタートしました。

東松島から世界へ広がる「和がき」

「現在、当社は宮城県内各地に提携する牡蠣生産者がいます。品質の良い牡蠣がある浜を選んで水揚げができる、これが和がきの大きな強みです!」

水揚げできる浜が複数あるため大量の注文にも安定した出荷ができ、貝毒やノロウイルスが検出された海域を避けて水揚げすることも可能です。「安全性の確保」、「安定供給」、「品質維持」、和がきはこの3つを同時に実現できる体制を構築しました。

和がきはこれから「和」と「輪」もって構築した、この出荷体制を強みとして国内のみならず世界へも宮城の美味しい牡蠣を届けてまいります。